川路利良の明治維新に対する冷静な観察



 「幕府瓦解と維新とそれに続く諸改革(封建制の打ち崩しと中央集権制の確立、さらに



は欧化政策による諸風俗の変改など)によって全国の士農工商がことごとく悲鳴をあげて



いた。社会的動物としての人間は元来が馴れなじんだ秩序を好むという点で、きわめて



保守的にできている。全国300万といわれる士族たちがその既得権を明治政権によって



奪われた。この一事だけでも、明治政権は士族300万人にとっての敵であった」。逆に言



えばあえてそれだけの大事を、短期間になしえた明治政権が、いかに時の勢いに乗じ得て



いたか、ふりかえりみて歴史の脈搏の巨大さに驚く。そして人口の非常に多くを占める農民



にとってはどうか。



 「さらに2000万以上の農民層にとって明治政府は不快きわまりない政府であった。明治



政府は新国家建設の財源がないため、旧幕時代同様、農民の租税にたよった」。それも旧



態依然どころか、事態はより深刻な方向をたどる。



 「この新政権は幕藩体制以上に大きい予算が要るため、自然、租税の負担が重くなり、は



じめの維新を世直しだと思っていた農民たちは、・・・・・・なんのための世直しだったのか。と、



裏切られた思いをもった」。すなわち国家を急速に近代化するため、絶対に必要な原資蓄積



を、農民に依存する以外、金輪際それ以外の方途はあり得ないのである。



 それに加えてこの年(明治6年)に公布された徴兵令がある。江戸300年、農民は兵士に



とられることがなく、それだけが農民の徳分というものであった。ところが明治政府は租税が



重いうえに農民の壮丁を兵士にするというのである」



 富国のための強兵は、これまた絶対的な要請である。こうして明治政府は虎の尾をふむよ



うに、危険きわまりない一歩一歩を、歩み続けなければならなかった。



 もしこの強行政策の構想に恐れをなし、中途半端な迂回路をとっていたら、その後の事態



はどうなっていたか。それは言うまでもなく列強諸国に、あなどられ恫喝され侵攻された揚句、



植民地として分割される結果しかなかった。明治政府はまず士族を敵にまわし、農民をもまた



敵にまわし、強引な方策を以て突進せざるを得なかった。それら国内の諸階層とは比較にな



らぬほど、戦慄すべき強力にして無慈悲な外敵を、明治政府は片時も忘れることができなか



ったのである。



                    谷沢永一



 明治維新は、ほんの140年前のことですから、わが国の歴史の重みを感じる今日この頃



です。